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さたけケーイチ
Webクリエイター
二拠点生活、田舎と都会をいったりきたりのWebクリエイターです。
夏はデザイン・コーディング、冬はスキーインストラクターと、ゆるりと生きてます。

デザインと教育の共通点

マルチ・ポテンシャライトな私のスキルの中に、教育学と学校現場での実践があります。

それらは、Webデザインの世界においても大いに役立っており、他の製作者と大きく差別化できるポータブルスキルに繋がっています。

それでは、教育とWebデザインとの親和性について説明していきましょう。

目次

「課題解決」という共通項

Webデザインをスクールで学ぶと最初の講義で質問されるのが、

「何のためにデザインはあるの?」

という問いかけです。

学習者はここで初めて

お客様の課題を解決するためにある

という本質を学ぶことになります。

私は、この答えを聞いた瞬間に、教師はデザイナーの資質が高い!という確信を得たのでした。

なぜなら、教育こそ子どもの学びの課題解決をしていく作法であり、授業全体と個別の瞬間ごとに課題が現れ、その課題を子どもに気づかせ解決に導く手助けをするのが教師だからです。

さらに教師は授業だけにとどまらず集団や家庭での生活にも目を配り、日々さまざまな課題解決に向き合っています。

「課題解決」という概念自体はどんな仕事をしていてもでてくると思いますが、解決に至る手法を理論立てて研究し実践するというプロセスを持っている時点で教育とデザインは親和性が高いと感じるのです。

教育は課題解決の研究・実践の場

学校教育は連続的に課題解決が成されていく場であることが分かったと思いますので、解決に至る手法や理論を実践するとはどういうことなのかを述べたいと思います。

一般的に教師が学校の中でどんな仕事をしているのかは理解されていません。

先生なんだから授業やってんじゃないの?

保護者の相談とか大変そう!

世の中にはいろんな情報が交錯しています。
けれども、校内研究について取り上げている情報にはほとんど出会ったことががありません

しかし、この校内研究の存在こそが、教師が自信を持って子どもの前に立って課題解決の支援をできる礎になっているものなのです

校内研究が教師の課題解決をアップデート

教師が「先生」といわれる所以は、教員免許を持っていることに尽きます。そして教員免許は、教科をどういうふうに教えるかという教科指導法がその中心になります。

指導法ですので、ただ、知識を伝えるだけでは、子どもの好奇心を刺激することはできないし、発達段階に応じた知の定着に結びつきません。

ですので、教師は発達心理学をはじめとした様々な学問領域に触れながら、指導法を積み上げていきます。

またそれらの指導法は、理論として確立していても実際の現場に落とし込んでみた時に、その教室環境にマイナーチェンジしないと全く響かないチグハグなものになってしまうのです。

このチグハグさを解決するために、教師集団全体で教科を統合して指導法を学校に応じたものにしていく作業を「校内研究」というのです。

この校内研究を統括する教師が研究主任であり、学校では校長、教頭、教務主任、の次のポジションとして位置しています。

手前味噌ですが、私もこの研修主任の要職についてやっていました。

この研究を負担と感じている教師が多いことも事実ですが、日々校内研究を意識して授業をしていると、自ずと教師としての資質がアップデートされていくものなんです。

教師集団からは研究主任は仕事を増やす元凶をつくっている人間といわれ、嫌われ役になることも多いのですが・・・。

塾講師と教師が大きく違うのはこの一点であり、教科に特化している塾に比べ、学校教員は子どもの発達全体の中で学びを常に研究しているといえます。

研究から得られた成果は、日々の教育活動に生かされアップデートされていきます。教師は常に課題解決と向き会っている仕事といえます。

きめ細やかな傾聴力こそ教師のポータブルスキル

ポータブルスキル(職種を代えても通用する資質能力)の重要性が社会全体の中で言われています。
教師はそのポータブルスキルの中で特に「傾聴力」が抜きん出ていると私は感じています。

民間で仕事をするようになって、驚いたことがありました。

それは、意外と人の話を聴く人が少ないということです。

人の話を聞くということは、自分の時間を他人に提供する行為を伴うものなので、そこにコストが発生するということが徹底しているのかな、と感じています。

私は冬スキーインストラクターとして、某リゾート地で富裕層相手のスキー教師をしています。
ある日、こんなエピソードがありました。

いつものように子どもとレッスンした後、迎えに来たお母様と話し込んでしまうことがありました。
といってもそんな何十分も話し込んだわけでなく、たかだか数分の時間です。

ところが、それを見ていた私より年配のインストラクターが

「さたぼーさん、あなたの話は長い。もっと短く切り上げて!。次の人たちが待っているんだから」

と不満をいって指導をしてきたのでした。

私とすれば、意外な反応でした。

お母様からすれば、子どもがスキー上達できなくて悩んでいた時に私との出会でスランプを乗り越えたことが嬉しいらしく、この後どんな道具を使ってどういう練習をすればいいかを聞きたいということだったのです。

元教師の自分は、立ち話とはいえドライに話を切り上げることができず、課題解決のために何ができるかを模索しているお母様に寄り添いたいと思ってとった行動でした。

結果的に年配のインストラクターからすれば、自分の行動は余計なことだったのかもしれませんが。

今でもその家族からはスキースクールに私への指名リクエストがあり、とてもありがたいことだと思っています。

このように、忙しいビジネスの現場では、傾聴という行為はコストであり、過剰サービスにつながるという考え方があるように思います。傾聴にはお金が発生しますというスタンスですね。

例えば、弁護士の相談。
1時間じっくり話をすると5千円という相場で料金をとられます。

他にもカウンセリングやコーチング、コンサルティングなど、傾聴はビジネスとして成り立ち、料金が発生するものとして現代はもてはやされているようです。

そんなの当たり前じゃないですか、相手の時間を拘束してるんじゃ仕方ないですよね?

確かにそうですね。
でも教師にはその概念がありません

課題解決するためにはいくらでも傾聴するという姿勢で仕事に臨んでいる職種なので、傾聴することは当たり前という感覚でできてしまうのです。

今の自分は教師ではないので、無制限での傾聴はできませんが、教師時代に培った良い意味での傾聴力は大切にしてお客様に向き合っていきたいと思っています。

ゴールは笑顔

課題解決の最終ゴールとは何でしょうか?

漠然としていますが、私は人が笑顔になることだと考えています。

学校では、子どもたちが「わかった」と言ってもらえた時の学び、または保護者との相談で課題が解決された時の帰り際の晴れやかな笑顔が見られた時かなーと考えてきました。

Web制作では、どうでしょう?

お客様の悩みをWebを使って解決できた時、ホームページからお問い合わせがあって売り上げが上がった時はお客様からは素敵な笑顔がこぼれます。
「おかげさまで好評です」こんな言葉を笑顔で言われると素直に「やってよかったな」と思えるのです。

21年の学校勤務で得られた傾聴力、これを武器にWeb制作でお客様といいゴールを目指したいと考えています。

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