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さたけケーイチ
Webクリエイター
二拠点生活、田舎と都会をいったりきたりのWebクリエイターです。
夏はデザイン・コーディング、冬はスキーインストラクターと、ゆるりと生きてます。

こんな方々とつながりたい

Webデザイナーとして私は、クライアントさんと一緒になって良い情報発信をしていきたい、そのお手伝いをしたいと思っています。

自分が持っているスキルを発揮して喜んでもらえる仕事をしたいと思っています。

そこで、「こんな方々とつながりたい」と私が考えていることをお話ししたいと思います。

ぜひ、読んでいただきいい関係を築いていけるクライアントさんとの出会いを楽しみたいと考えています。

目次

良きパートナーでありたい

Web制作というと受託の意味合いが強くなる傾向があります。

制作を依頼し、納期に約束通り納品することで、お金をいただくというモデルですから、当然お金を払うクライアントさんの立場が上になるのは分かる気がします。

もづやでは、成果物の納品=料金と考えるのではなく、一緒にプロダクトをつくり上げるパートナーであるという信念でお客様に接しています。

それは私もクライアントの理念をしっかり共有したいと思うからです。

なぜなら、制作プロジェクトが始まってから、「ちょっと考えが合わないなー」と感じてしまうと制作パフォーマンスに影響を与えてしまうし、結果的にお互いに悲しい思いをしてしまうからです。

実際、これまで別業種ですが似たような体験を何度もしてきました。

ですので、できるだけ違和感を感じる人間関係リスクを下げたいと考えていますし、それができるのが私の長所でしょうか。

ですので、理念をしっかり持っていて、相手のことをリスペクトできる姿勢をもった方々とつながりたい、そしていい仕事ができたらいいなあと考えています。

低価格で提供する理由

ではどんな理念かといわれると、

「お金が全て」ということを理念の中心にしているのではなく、

人に喜んでもらえうサービスを行いたい、その対価としてお金をいただく

という理念をもっている人でしょうか。

ホームページをつくり、そこからの発信を通じて自分たちを知ってもらい、そのサービスを喜んでもらいたい。

そんな方々と繋がれたらいい仕事ができるかな、と考えています。

私は制作にあたり、情報設計の段階から、これまで培った30年間の社会人リソースの全てをつぎ込みデザインしていきます。
歴史・文化財の専門家、子育て・学校教育の専門家、スキーや野球・剣道のインストラクター、印刷・出版の知識、写真のノウハウ、ギター歴40年の音楽家の側面など、
ざっと挙げただけでもこれだけの経験を有しています。
単なるWebデザイナーの枠組みでは量れない引き出しがあると自負していますがいかがでしょうか。

この引き出しとWebの技術が合わさって、新しい価値が創造される世界をクライアントと共にのぞいてみたいというのが私の願いなのです。

ですので、お金が全てではないということを理解してもらえればうれしいな、と思います。

他の制作スタジオに比べれば、低価格で提供している理由がここにあります。
低価格の裏には、クライアントに忖度せずに、協同意識で仕事をしたいという私の理念があるからです。

相手をリスペクトできるポータブルスキル

ポータブルスキルの詳細はここでは割愛しますが、簡単にいえば職種を変えても通用する、人と人をつなぐ資質能力といえばいいでしょう。

私は特に、相手をリスペクトできる資質能力を持った人は素敵だなと感じます。

自分よりも年齢が一回りも下の世代でも、理念があってしっかり自分の考えで行動できる人を素直にリスペクトしたいと思っています。

世代を越えて、同じ目標に向かってリスペクトしながら事にあたれる人との共同作業はとても気持ちの良いものです。

ですので、私は相手に対してマウントをとることはありませんし、逆にマウントをとる人とは距離をおきたいと考えています。

特に若い世代からは教えてもらうことの方が多いと感じています。

それに対して、自分と同じ世代(50代)が、経験と組織内ポジションでマウントをとって仕事を進めていくのを見ると大きな違和感を覚えてしまいます。

私が教師という仕事に見切りをつけたのも、同世代にこういう輩が多く自分がそこに身を置くことによって、今後の成長を阻害されてしまうという意識があったからです。

いくつになっても成長し学び続けたいと思っています。
だから、それを否定する人たちとは距離をおきたいと考えてしまうのです。

まあそんなことをいっても、決裁権を持ってお金を動かせるのは同世代の人たちなので、あまり大上段に構えずにいきたいとは思ってますが、ちょっと複雑でもあります。

大学院で見つけた「協同」の姿

大学院で学んでいた時、自分の息子と年齢的に変わらない若者たちと、1年間一緒に学ぶ経験をしました。

この経験は今の私に大きな影響を与えています。

若者の着想や発想力、一点突破の機動力、どれも自分に欠如していたもので、素直にリスペクトできました。

多くの課題をチームで検討し解決していく体験を重ねたのですが、その際に忖度なくお互いに意見を交換することを意識していました。

また、そうした自分の姿に若者たちが応えてくれて、新しい知見を得ることもありました。
世代を越えて協同するということを学べた貴重なひとときだったと思います。

現実の社会や職場はこんな風に、理想的な世代間交流ができる環境はなかなかないかと思います。
でも、せっかく独立して仕事をしているので、組織の論理で妥協せずに理想的な共同性を求めていこうと思っています。

この人とはないな、と感じた時

これまで何回か「この人とはないな、自分からは近づかないようにしよう、違う世界線にいる人だ」と感じた経験がたくさんあります。

そういう時は、
「多様な価値観があるから仕方がない。でも自分を無理にその価値観の中に置くことはやめよう
と行動することにしています。

こう考えるようになったのには理由があります。

教師で駆け出しの頃、ある管理職から保護者のクレーム対応で言われたことがあります。

「さたぼー先生、いろんなクレームを入れてくる保護者がいるけれど、反論することなくまずは全部受け止めてあげてくださいね。クレームの裏側には親の立場での辛さを誰かに聞いてほしいという願いが隠れているんだよ、それを聞いてあげられるのは教員しかいないんじゃないかな?」

そのアドバイスを受けたの時は素直に「なるほど!」と思いました。

つまり、誰と接する時でも性善説に立って向き合いましょう、ということなのでしょう。この考え方を教師の頃は21年間貫いてきたので、自分でいうのも何ですが、相手の立場に立って物事を考える力は高いと自負できます。

しかし、その引きかえとして、自分自身の心身に大きく負担がかかり健康を損ねてしまったことも事実でした。

ですので、今はせっかく教員から抜け出せたわけだから自分と響き合える人に多くの時間を割きたいと考えています。

したがってお仕事の依頼も、お受けするかどうかは依頼者の人柄や理念を伺ってから決めるようにしています。

では、自分にとって響き合えない人とはどんな人なのか具体例をご紹介します。

周りを見ずに自分のベネフィットだけ追求する人

考古学を学生時代から研究していると、こういう研究者然とした考えを当たり前としてとらえる方々と出会うことがよくありました。

自分の給与や研究費がどこから出ているお金なのかの意識が少なく、頭がいいから研究してるという特権意識のようなものが見え隠れするんですよね。

頭の良さを自分の利益追求に使うのは、官僚はじめ東大系の人たちには多いように思います。

自分は特に公金を扱う人間であるならば、その聡明な頭は人の役に立つことに使うためにあるんだ、という意識を持つべきだと思ってしまうのです。まあ、自分はその範疇には入りませんが。

でも少なくとも研究者たる人たちは、もっと直接的に一般の人々にわかりやすく文化財の大切さを伝える資質を持つべきだし、そういう活動をできる人をリスペクトしてきました。

逆に、「今だけ、金だけ、自分だけ」の人は自分とは合わないと感じてしまうのです。

出世欲とあざとさが見え隠れする人

学校というところは、外部からみれば「先生」と呼ばれ聖職者たる人格者がたくさんいる印象を持つ人も多いかと思います。

しかし、現実は真逆です。

公務員は自分のパフォーマンスをお金という尺度で評価されないので、上昇志向のある承認欲求の強い人は、出世と人事でマウントとろうとする傾向にあります。特に管理職などにはそれが顕著です。

また学級経営している時も、前述のような傾向の教師は、同じ学年内で足並みをそろえず、「自分のクラスが一番」ということで生徒に過剰サービスを行なって職員間で軋轢を生むケースを何度もみてきました。

さらに、そうした教師が上に気に入られて管理職に登用されていく姿をみるにつけ、「この世界線に自分は乗りたくないな」という思いを強くしたものです。

そういう出世欲Maxの人に限って、自分の本心を打ち消して

「私は何も知らないので勉強させてください」

という言葉を発することが多いように思います。

そういう”あざとさ”を自分は敏感に感じてしまう傾向にあるようです。

熱血漢で価値観を押し付ける人

今の仕事の駆け出し期、ある実力ある方のもとで無償でデザインやコーディイングのお手伝いをしたことがあります。ある種インターン的な扱いででした。

その実力者の方は年齢は私よりも一周り下でしたが、いろいろな技術を教えていただけるということで、いつものように相手を最大限リスペクトし接してきたつもりでした。

しかしその一方、相手の接し方には違和感を感じざるを得ませんでした。
リモート作業でコミュニケーションが取りづらかったこともありますが、指示が曖昧で、作業完了後の手戻りが多く、成果物を上げても「お疲れ様でした、ありがとうございました」の声がけもなく、淡々と機械的に処理していく感じです。
こっちが気を利かせて作業を工夫すると、「余計なことはしなくていいです」といわれ…。

気持ちが熱い人ではあったのですが、自分の価値観の中で他者をコントロールしたいのかなーという姿勢が見え、私には大きな違和感につながっていった感じでした。

こちらも無償で自分の時間と成果物を提供しているのに、相手は自分がタダで教えてやっているという意識が前面に立っていたのかもしれません。

熱い思いでWebに向き合っている人でしたが、私はこれでは心身を壊してしまうと感じ身を引いたという苦い経験があります。

理念に共感できる方とお仕事をしたい

「お金を稼ぐのに選り好みしてる場合じゃないだろう」「がむしゃらに働け」

なんかそんな声が聞こえてきそうです。確かにそうですね。
でも、そういうモーレツ主義の中で自分はもう十分やってきたので、違う世界線で仕事をしたいと思っています。

インターネットは仕事の選り好みを可能にし、遠く離れた理念に共感できる人とつながって、仕事ができるようになりました。

すると、自分と合わない価値観の人たちと無理に仕事をしなくても良くなったことに気がついたのです。

今までは学校や狭いエリアで仕事をしていたので、どうしても価値観の合わない人とも合わせなければいけなかったのですが、Webデザインと出会い、そういうストレスと向き合わなくても仕事で生きがいを感じられるようになりました。

お金のために、価値観の合わない人へ自分の能力や時間を投資すること自体が勿体無いと考えるようになったのです。

どんなにお金を稼いでも、どんなに物欲が満たされても、人はみな同じ時間を与えられ、その時間は増えたり減ったりすることはないのです。

であれば、その貴重な時間を、自分が気に入った、価値観の合う人と共有しながら仕事をしていきたいと考えています。

甘いと言われるかもしれませんが、インターネットではそれが可能なのです。

逆に私は「甘い!」と考える人が、社会の変化に気づいていないことに失望すら感じています。

理念をしっかり持った人とつながった時の幸福感は何者にも変えられません。

それが今後の宝になるという思いで studio Moz-YA を育てていきたいと思っています。

私の理念に共感できる方、お仕事の依頼をお待ちしております。

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